創業者の思い
Thoughts of the Founder
創業者の思い
Thoughts of the Founder
南信州新野で、厳しさの中に優しさを持つ母のもと生まれ育ちました。誰かのために、という思いは、母から教わった気がします。高校卒業後、外国と海にあこがれ上京。昭和34年のことです。船に乗るにはどうしたらよいかと考え、とりあえず船のかしき(料理番)として働きます。まずは、伊豆の神津島へ。マグロ船に乗りアルゼンチンへ。初めはただただ、海への憧れ、外国へのあこがれでした。それが料理に魅せられ、料理馬鹿となったのですから不思議なものです。
24歳の時アルゼンチンで出会った方に、料理を生業とするなら日本料理をしっかり覚えるようにと紹介していただいた、虎ノ門の“市川”という関西割烹のお店で働きます。師匠についての修行の毎日。様々な料理を教えて頂いた楽しい日々でした。
28歳、もう一度海外に行きたいという夢が捨てられず、旅費を稼ぐために、(株)藤倉電線 深川工場の夜勤食のアルバイトに応募します。そこで、事業所給食を知ります。昭和の時代のいわゆる「おふくろ役」。アルバイトではありましたが、毎日夜遅くに働く従業員の方々に、美味しい料理を沢山食べてほしいという思いで努めました。今ほど、様々な料理が世の中になかった時代、海外で覚えた料理、割烹で覚えた料理を、限られた食材で工夫して作りました。「美味かった」と喜んでいただくために。
40歳の時、(株)藤倉電線深川工場の食堂担当山口氏に呼ばれ、「食堂を変えたい、食事に美味しさと楽しさと、そして心を込めて欲しい」と言われました。その時は、創業することはなかったのですが、のちに、様々な方の後押しのもと、昭和58年(株)藤倉電線深川工場、佐倉工場を受託し、東京都江東区木場に(株)藤給食センターを創立しました。(株)藤倉電線社宅の1室をおかりし、畳の上に机を並べた本社でのスタート。お世話になった宇根重太郎を社長に据え、毎日毎日朝から晩まで、現場で料理を作る日々。後押ししていただいた方々への感謝、そしてついてきてくれた従業員に会社に入社してよかったと思ってもらえるようにと、前へ前へと進み続けました。
お客様に支えられ、そして従業員とともに、まさに、がむしゃらに進んだ日々でした。
「“一人では、何も出来ない。出会いに恵まれ、沢山の方々の支えがあり、そして社員、パート従業員、一人一人の力があったから”」
「感謝を忘れず そしてお客様に尽くす」
弊社の根底に流れる思いです。